離れ離れになってしまった恋人たちへ

今回はちょっと番外編




実家に帰ったときに

2007年のYOGAYOMUに掲載された

コラムを見つけたので読んでみたら




自分で言うのも何ですが

今でも感じるものがあったので

少し文章を修正して掲載します




タイトルは「離れ離れになってしまった恋人たちへ」ですが

恋人に限らず

今はなかなか会えなくなってしまった

大切な人たちを

思い浮かべながら読んでもらえたら幸いです







お世話になっている解剖学の先生から

こんな話を聞いた




「あなたの体とこの空気の境目は

本当はどこなのかわからないんだよ」




何言ってるんだろう?

境目っていったら、ここでしょ?

と、何が言いたいのかわからなかった

でも、なんとなく気になっていた

一体、どういうことなんだろう?




それほど時を置かずして

同じような話を聞くことになった

お世話になっているヨガの先生からだった




「人間の粒もこのテーブルの粒も

最後は土に還っていくでしょ

だからみんな同じ粒なんだよ」




話を聞きながら

こんな考えが浮かんできた




私が酸素を吸って二酸化炭素を吐き出す

植物がその二酸化炭素を吸って酸素を吐き出す

その酸素をあなたが吸うことになる




そこで、私とあなたは繋がっていることになる

私から生まれた一部が

ゆくゆくはあなたの一部になる

だから、私と空気の境目なんて

一体どこなのかわからない、ということだ




そうか!

みんな繋がっているというのはこういうことか

そう考えれば私は一人じゃない




衝撃と感動のあまり

目をウルウルさせながら話を聞いていた








「私」と「あなた」を区別するから

そこにエゴが生まれる、というが

その区別をとりのぞくのはなかなか難しい




でも、難しかろうがなんだろうが

事実、呼吸で私とあなたは繋がっている




呼吸だけではない

私から生まれるものは誰かへと届き

影響しあっている




「北京で蝶が羽ばたくと

ニューヨークで嵐が起きる」という

「バタフライ効果」という理論があるが

感情もきっと同じじゃないだろうか




私が幸せなら

その幸せの粒が風にのって

どこか遠くのあなたへ届き

1mmくらいあなたを幸せにするかもしれない




あなたが幸せなら

私もその幸せの粒を受けとって

2mmくらい幸せを感じることがあるかもしれない




だから、もう離れ離れになって

会えなくなってしまった大切な人がいても

悲しみや怒りや執着など

マイナスの感情を抱いて思い出すのではなく




「私も幸せにやっているから

あなたも幸せにやってねー!」

くらいの気持ちでいると




そんな感情の粒が届いて

相手もふとした時に

幸せな気持ちで思い浮かべているかもしれない




生きていると

たくさんの出会いと別れがあるけれど

どうせ別れがあるのなら

会えなくなってしまった人たちを

そんな気持ちで思い出せるといいな、と思う











コメント